祈り続けた“平和”と“寛容” 前日に最後の言葉…フランシスコ教皇(88)死去
…フランシスコ教皇は2013年に就任。アルゼンチン生まれで、初の中南米出身のローマ教皇です。 自宅はアパート、移動はバス、少年の自撮りに応じる気さくな一面もありました。
(出典:)


教皇のサムネイル
4385139059 ローマ教皇の一覧 教皇勅書 教皇教皇教皇庁立アルゼンチンカトリック大学 教皇教皇派と皇帝派 教皇不可謬説 教皇首位説 教皇子午線 バチカン フランシスコ コンクラーヴェ 公会議 皇帝教皇主義 叙任権闘争 女教皇ヨハンナ 対立教皇 名誉教皇 教皇 (タロット) 黄金のバラ…
66キロバイト (9,828 語) - 2025年4月21日 (月) 13:57
ローマ教皇の死去は世界中に大きな衝撃を与えています。彼が示した信念と教えは、多くの人々に希望と勇気を与えてきました。その遺志を継ぎたいと感じている人も多いでしょう。

1 どどん ★ :2025/04/21(月) 19:48:50.40 ID:Zbpt45b59
 【ローマ共同】世界のカトリック教会の頂点に立つローマ教皇フランシスコが21日、死去した。88歳だった。教皇庁(バチカン)が発表した。2019年11月に教皇として38年ぶりに訪日し、被爆地の広島、長崎も訪れた。難民支援や環境問題、平和外交に積極的に関わり、寛容さや人道主義を説いた。バチカンは今後、葬儀と新教皇選出選挙「コンクラーベ」の準備に入るとみられる。

 1936年12月17日、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスで生まれた。本名はホルヘ・マリオ・ベルゴリオ。中南米から選出された初めての教皇だった。

 2001年に枢機卿に任命された。前任のベネディクト16世の退位を受け、13年3月13日、コンクラーベで教皇に選ばれた。カトリック教会の改革を推進したが、教義上は同性婚や妊娠中絶を認めず保守派路線を受け継いだ。

 外交面では16年2月、1054年のキリスト教会の東西分裂から初めて、東方正教会の最大勢力、ロシア正教会トップと会談した。22年2月にロシアがウクライナに侵攻すると、停戦を呼びかけた。

https://news.yahoo.co.jp/articles/eb34803786c5aef46e46f43290ac262f60ec87cc

前スレ
ローマ教皇死去 ★2 [どどん★]
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1745226049/

【ローマ教皇の死去を受けて考える現代の教会と信仰の未来】の続きを読む