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元日本代表


長谷部 (はせべ まこと、1984年1月18日 - )は、静岡県藤枝市出身のプロサッカー選手。ブンデスリーガ・アイントラハト・フランクフルト所属。ポジションはミッドフィールダー、ディフェンダー。元日本代表。 妻はモデルの佐藤ありさ。 2006年から代表引退を発表した2018年まで日本代表に選ばれ…
63キロバイト (6,959 語) - 2023年3月21日 (火) 05:03
「長谷部選手が将来的に日本代表監督になることを願っています。彼は選手としても指導者としても素晴らしいキャリアを持ち、日本サッカー界の発展に貢献してくれると思います。」

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「高橋祥平選手、神戸に復帰おめでとうございます!ビッグクラブでのプレーは大きなチャレンジですが、きっと力を発揮してくれることでしょう。今後の活躍に期待しています!」

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まぁ、今は身体能力重視になってるからなまぁいずれトレンド変わるでしょう

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昨季限りで現役を引退し、今季から横浜FCのコーチに就任した元日本代表MF中村俊輔氏(44)が14日深夜放送のテレビ東京「FOOT×BRAIN」(土曜深夜0・25)に出演。フリーキックのスペシャリストについて「今ではもうあまりいない」と持論を展開した。

 自身の“代名詞”ともいうべきFK(フリーキック)でJリーグ史上最多24得点を記録した中村氏は「今回のW杯全体でもそうですけど、(フリーキックの)スペシャリストはもうあまりいない感じがして…だからおもしろくないですよね」とコメント。

 近年いいキッカーが減少している理由について「昔はテクニックがあれば、2人だけの関係、せいぜい3人目まででよかったんですけど今は難しい。やることが他にもいっぱいあるし、ハードワークして戦術的な動きを理解しなければならない。よく見る五角形(選手のパラメータ)みたいなものがもっといっぱいあって、すべての能力が完璧に近いような選手が求められる。その中でフリーキックは出来なくてもよくなってしまった。そもそもフリーキックでゴールを直接狙える場面って試合中でそんなに多くないじゃないですか?」と持論を展開しつつ説明。

 自らについては「そこまで特化しなくてもいい練習(フリーキック)を僕は練習を終わった後にペナルティエリアの外から蹴っていて、あくまで遊びの延長だった。本格的な練習をやりだしたのはプロになってからですよ。プロ一年目でキッカーを任せられることになったので。だから、そういった環境を用意してもらったから出来たという部分はありますね」とコメント。

 続けて「マリノスの大先輩が練習の壁になって能活さんがキーパーやってるんで絶対当てちゃダメじゃないですか笑。だから上から越えて能活さんに取られないようにするって相当難易度が高い。それが良かったんだと思う」とフリーキックの上達はチームのおかげだったと明かした。

https://news.yahoo.co.jp/articles/5143e6cd39d74f9232b5d308794b396f61401628

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一生言われるんやろか?

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(出典 pctr.c.yimg.jp)


(出典 pctr.c.yimg.jp)

去年11月 あいテレビ撮影

昨季限りで現役引退の駒野友一「後悔していることを1つあげるなら?」と問われ「2010年W杯の…」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20230114-00010000-itv-l38

決勝トーナメント1回戦、日本VSクロアチア。
史上初のベスト8入りをかけた戦いは、前後半90分と、延長戦の前後半30分の120分を戦い終えて1対1。PK戦に突入した。

そして誰もが、爪の跡が残るほどに祈り、心で肩を組んだあの瞬間――

12年前の「あの試練」が脳裏をよぎった。

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「ここにいた4年間幸せな時間を過ごしました。これからも感謝の気持ちを忘れずに日々成長していきたいと思います。23年間ありがとうございました」

2022年11月、J3・FC今治のホーム最終戦後のセレモニーで、サポーターの拍手と涙に包まれていたのは「駒野友一」。41歳の元日本代表選手はこの日、現役生活にピリオドを打った。

駒野は広島県出身で、サンフレッチェ広島などで活躍。日本代表にも選ばれ、2大会連続でワールドカップの舞台に立った。そして’19年から当時JFLだったFC今治でプレー。元代表監督の岡田武史会長のもと、世界を知るベテランとしてチームを支えてきたがその決断理由は明快だった。

「全ての試合で足がつることになりましたし、やはり『サイドバック』では90分出続けることが使命だと思うので、その役割が果たせなくなってきたし、若手にポジションを譲ろうと思い、決めました」

中略

今や複数のポジションをこなすことも珍しくなくなったJリーグで「職人」としてタッチライン際を駆け抜け、通算588試合に出場した駒野。長いサッカー人生最後の4年間を過ごしたFC今治でもJFL時代に29試合、J3で64試合にわたり、地元サポーターの心を揺さぶってきた。

「2018年にアビスパ福岡から契約満了の話になって、家族とも『サッカー選手として終わりに近づいているので、どのタイミングで引退するのか』と話をしました。そんな時、FC今治からお話をいただいて、サッカー選手としてこの4年続けることができました。本当に感謝の気持ちを忘れずにこの4年間やっていこうと思いましたし、若手に指導やアドバイスもやっていこうと思ったので、自分自身この4年間は役割を果たせたんじゃないかなと思います」

噛み締めるように当時を振り返り言葉を紡ぐ駒野。
ただ場所は記者会見場、記者の質問もいよいよ核心に迫る。

記者)次の世代に伝えていきたいことは-
駒野)やはり失敗を恐れずにどんどんトライしていくことを小学生、これは大人でもそうですけど、大切なことなので、そういうところは教えていきたいというか伝えていきたいなと思います

記者)自身もそれを一番大事にしてきたか-
駒野)失敗して消極的になれば次のプレーもまた消極的になってしまう。ミスしてもミスしてもやっぱり前を向いてやっていく、それがチームの力にもなるので。あとは自分の気持ちも前向きになるので、そういうところはこの23年間、忘れずにやってきました

そして・・・

記者)現役人生の中で1つ後悔するポイントがあるとすればどんなことか-
駒野)後悔…。これだろうと思うのは、やはり2010年のPK失敗ですかね

駒野は自ら続けた。

「その後は自分自身も落ち込むことはありましたけど、日が経つにつれてやっぱりサッカーしたいという気持ちになったので、自分にはサッカーしかないと思いました。当時ジュビロ磐田に所属していましたけど、チームメイト、ファン、サポーターがすごく励ましの言葉や応援してくださっているので、その人たちにもまた成長した自分を見せたいと思って、それを原動力にまたサッカーを続けることができました」

2010年ワールドカップ南アフリカ大会、決勝トーナメント1回戦、日本VSパラグアイ。試合はPK戦にもつれこみ、駒野は3人目のキッカーを任されたが、ボールは無情にもクロスバーに弾かれ失敗。日本はベスト8進出を逃した。

あの日から12年。

駒野は引退を決めたその夜、FC今治の岡田武史会長に電話したという。

「本当にお疲れ様です。FC今治に来てくれてありがとう」

ワールドカップ南アフリカ大会で指揮を取り、共に日本サッカーの歴史を紡いできた岡田会長の言葉は、今治市民の思いと寸分違わず重なっている。

【昨季限りで現役引退した駒野友一に酷な質問浴びせる、、、】の続きを読む

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